ひとの法のうえではあと少しで俺に26歳という値が付与される
この体と、生活と環境は、全くもってその値の持つ力に見合っていないような気がする
26歳男性、あまりにも強そうで、俺の知らない社会の仕組みをすんなりこなしそうで、
それでも変わらない「あの頃」が残っていそうで、でも俺は全然そのどちらでもない
誰かが俺を26歳男性と何度呼んだとしても、俺は自分をそう呼ぶことはきっとなくて、
自分を数字で呼ばないまま生きてきた人たちが、たまたまうまくいった輝きの、
清潔感のある側が、蔦屋書店のブルータスにでかでかと写されていて、
そのページをめくりながら、近そうなものほど遠くにあるのはずっとそうだなとしみじみした
正当化しようと思えば別になんだって可能なんだなと思いつつ、
シミュレーションゲームに現を抜かして肩を凝らせたり、
そういう日々は、知的資本や資産に裏打ちされた「スローライフ」よりも、
もっと本質的な遅さのなかにある
どんどん早く、速く、未来派の攻撃性だけ去勢した能力観に身を置きながら、
その摩擦熱を冷却するためだけの遅さではなく、
生産に見せかけた人間性の蕩尽でもなく、
這ってきた道のりに光る粘液を眺めるカタツムリのように生きること
なにかになるとか、なにかにするとかではなく、
手近な枝を組み合わせて、ただ積み上げてみて、
なんとなく眺めてみるような、そんなことでいい
過ぎ去っていく直線的で一方通行の時間軸にとらわれず、
共時的で平面的な生活を、少しだけでも生み出すこと
境界なく広がる草原に、あなたがたがいると、嬉しいなって、素直に生きる