アトモキセチンが切れてから、どことなく安定している
世界が体に近くて、何が起きているかわかる
風の冷たさとか匂いとか、午後の光とか、
膝小僧の下から爪先までの足の温もりとか、
キーボードを叩いている指先の、少し凹む手触りとか
服や体の色んな匂いとか、心地よく汗ばんだ皮膚とか
自分の体が、自分の意識と優しくつながり合っているような
行動するときに、タスクとして認識される個々の事象が、
ひとつひとつのブロックとしてではなく、
まとまりを持った粘土として感じられる
くっつけたりちぎったりして、自分なりにわかりやすく、
自分がしたい手順で、したいことができるようになっている気がする
発達障害の薬は感覚を鈍らせると一般的に言われていて、
それは仕事をする面ではすごく役立っていたところはあった
目の前で起きていることが、単純なタスクとして認識されるから、
誰かに確認を取るとか、メールを何通送るとか、
請求書をこの場所に納めるとか、そういうことを効率よく進めるのにはよかった
でも、もっと長期的に、自分の生活のリズムを取るというのを考えた時、
むしろ不都合なこともあったのだろうなと思う
それまでずっと依拠してきた世界の感覚が変わるというのは、
物理法則が変わるようなものなのかもしれない
昔使っていたデジカメを部屋の隅から発掘したというのも、
感覚が以前に戻ったということの証左のようにも思える
いいなと思った街の景色を切り取ってみようと思い立つのが嬉しい
不安なことしかないけど、とりあえず生活をやってみようと思う

